総務部との戦いの始まり・・・【うつ病#6】
皆さん こんばんわ。
前回からだいぶ日が経ってしまいました。
また続きを書いていきたいとおもいます。
前回、医者の診断書を総務部に渡し、社外にて面談を実施する
ことになりました。
面談に来たのは、1次面接の女性社員でした。
私は、ここで、どのような経緯で病気を発症したかを全部打ち明けました。
・研修を実施してくれなかったこと。
・挨拶をしても無視され睨まれる事。
・陰で本人に聞こえるように陰口をたたくこと
その他モロモロのパワハラ事項を言いました。
同情的に聞いてくれたものの、この方も旧派閥の方です。
まえ、書きましたが私が入社したカード会社はJ○Rカードという
大○や松○屋のクレジットカード会社で、人の採用などはグループ内で
行なわれてきました。
社長が外部から採用され、外部からの採用組とグループ内からの採用組で
2大派閥のようなものがあります。
一旦一カ月休職をすることがきましました。
2020年の11月の頃です。
しかし、負けず嫌いの私は11月末の診断で先生に復職の診断を
書いてもらい、12月から復職したい旨総務へ連絡しましたが、
面談した旧派閥の女性社員から驚きの言葉が返ってきました。
『○○さんも、今の仕事にこだわらず次の人生のことを考えたほうが
いいんじゃないですか?』
これって、ストレートに言うと会社辞めてくださいってこととしか受け取れませんでした。
結局、復職は認められませんでした。
ここからまた私と会社の長い闘いが始まることになります。
また続き書きたいと思います。
明日は仕事です。
憂鬱です・・・
つづく。
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心療内科いく・・・【うつ病#5】
皆さん、こんばんわ。
今日は、会社は休日でお休みでした。
先日は、4月までの勤怠結果により契約解除予告を受けて精神は不安定ですが、
日記を書きたいと思います。
前回、パワハラ教育担当の上司から、事実上の研修なく
いきなり電話デビューして、罵声、聞こえるような陰口を叩かれているところで
終わりました。
それに耐えながら3カ月通勤した10月のある日、会社に行く途中に、めまいや吐いたりするなど、今までの人生で味わったことのない症状に襲われるようになりました。
通りすがりの人に、助けられたりもしました。
そして会社にたどり着くのがやっとで、とても電話を取れるような状況ではありません。
会社の入り口には、警備員の方がいますが、その方も心配してくれました。
結局そのまま病院へいきました。内科です。熱は微熱ながらある状態でしたが
血圧が170を超えているような状態でした。
『疲労ですね。ゆっくり休みましょう』と言われ、欠勤しました。
警備員の方や、同じ会社の方が色々と動いてくださり、帰宅することは部署に電話して
くれましました。
そして、家のベッドで病んでいる時、電話がかかってきました。
例のパワハラ教育担当です。ちょっとは優しい言葉でも掛けてくれるのかな・・・
そんな甘い考えは微塵も通じませんでした。
『報告ぐらい自分でして帰るのが社会人の常識やろ、あんたそんな常識もないんか!』
はい、叱責だけでした。
謝罪して、電話を切りました。
それからも同じような状態が続きながら、なんとか会社に行きましたが、
明らかな体調の変化から、色々調べた結果、心療内科へ行くことを決断しました。
そして、適応障害の診断書を貰い一カ月の休職と病状を打ち明けることになりました。
後日、総務部の方と面談することが決まりました。
この辺のことを、また次回詳しく書いていきたいと思います。
今日はこのへんで。
つづく。
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電話デビューそして罵声・・・【うつ病#4】
みなさん、こんにちは。
毎日更新しようと思ってはじめましたが、所詮無理でした。
無理しない程度で更新していきたいと思います。
前回では、新人研修は放置状態で3ヵ月ひたすらマニュアルを
読むだけということをお伝えしました。
ところが、放置研修が始まって3ヵ月たった時に、例の私の新人教育担当でありながら、パワハラ担当であり、所属部署の影の大ボスより声が掛かりました。
『明日から一人で電話とってもらから!』
3ヵ月放置してマニュアルだけ一人で読ませ、OJTなどもなく
現場デビューが決まりました。
まさか、と思う感情と同時にやっぱりなという感情が入り乱れた状態です。
負けず嫌いな私はそれでは、これまで読んできたマニュアルを元に電話を取る決意をしました。
ちなみに、私の部署は、カード会社のコンタクトセンターで入電対象者は、外商員がついているようなゴールドカードを持っている年収1000万以上の富裕者です。
3ヵ月マニュアル読んだところで、全部の電話に対応はできません。
分からないことをどんどん質問されます。
勇気をだして、パワハラ上司に質問します。
そのたび、罵声に近い叱責が飛んできます。
ひたすら謝りながら、電話を取り続けました。
電話を取ってない間は、私のことを仲間と一緒に陰口たたかれます。
『あいつ何もできへん』
『使えへん』
『3カ月なにしてたん』
『だから外部入社は使えへん』
私に聞こえるボリュームの声です。
それでも、7月、8月、9月と耐えながら頑張りました。
そしてとうとう10に体がおかしくなり始めました。
すいません。
疲れてきたので、今日はここまでにしておきます。
また続き書きます。ごめんなさい。
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パワハラ新人研修・・・【うつ病#3】
皆様 こんばんわ。
昨日は会社を早退し、今日は休みました。
インフルエンザということにしてます。
やっぱり朝どうしても動けないのです。
睡眠薬服薬しても、寝てるのか起きてるのかよく分からない状態で夜が明けます。
さてさて、前回のブログではうつ病のきっかけになったのが、
転職先の私の教育担当になった人というところまでお話しました。
前回も書きましたが、
パワハラをする主な理由は、主に2つで
①私が標準語を話す(関西弁じゃないこと)
②私がグループ外からの転職組であること
と書きました。
では、まずどんな感じのパワハラだったか・・・・
基本無視です。恐ろしいほど徹底した無視でした。
入社、初日個室に呼ばれ、上長とこのパワハラ社員と面談。
私と一切目を合わしてくれませんでした。
その時に、「あれれ、これはちょっとおかしいぞ」と思いました。
本来なら、新人研修をしていくのですが、
4月に入社し、6月末まで放置です。
オフィスの一番後ろの席に座らされ、毎日同じマニュアルを読む。
それを延々と8時間繰り返すのみです。
もちろん一人で。
あとから入った派遣社員さんは、別の方が教育担当になっていましたが、
私よりどんどん業務を習得していきます。
私は、毎日誰とも話さず、ずっと一人で同じマニュアルを繰り返し読むだけでした。
当然、そんな研修おかしいですよね?
じゃ、そのパワハラ社員の上司はそれをどうしていたのか?
その上司、難病をもっていてオフィス内にいなかったんです・・・
だから、私が普段どんな扱いをされているかも知りませんでした。
いわば、パワハラ社員が私の部署の大ボスだったのです。
この先どうなっていくんでしょうか?
それはまた今度書いていきます。
疲れたので今日はここまでで。
つづく。
あーもう睡眠薬なくなった。
今夜からどうすればいいんだろう。
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大阪への引越を決断!・・・【うつ病#2】
皆様 こんばんわ。
前回のブログで、医者からうつ病であると診断されたことをお話しました。
きっかけは、パワハラでした。
私は、会社が事業譲渡され、転職活動をして大手百貨店である○丸、松○屋を経営している○.フロントリテイリングが発行しているJ○Rカードというクレジット会社に転職しました。
しかし早速問題が発生しました。
当時、横浜に住んでいましたが、勤務先が大阪になってしまいました。
もともと、10才まで大阪に住んでいたんですが、約40年ぶりの関西。
当然、関西弁ではなく標準語しか喋れません。
私の関西のイメージは、ケンミンショーという番組の影響で、
アットホームで人が温かいところ、そんなイメージでした。
なので、思い切って大阪への引越を決断し、転職を断行しました。
そこで猛烈なパワハラを受けるとは思いもよりませんでした。
パワハラ相手は、なんと!私の教育担当になった年上の女性でした。
パワハラをする理由主に2つ
①私が標準語を話す(関西弁じゃないこと)
②私がグループ外からの転職組であること
①に関しては、もうどうにもなりません。
②に関しては、このJ○Rカードという会社は社長をグループ内から選抜
してたのですが、はじめて外部から社長を採用しました。
雇われ社長というんでしょうか。
有名な女優さんの旦那さんで有名な方でした。
その雇われ社長の考えで、これまでのグループ内からの採用ではなく、
もっと外部から優秀な人材を集めるという考えでした。
そんな社長の考えに結構な反発をもっている古株社員がいて
私にパワハラをしてくる女性教育担当はその筆頭的な存在でした。
今日は、このぐらいで書くの止めておきます。
読んでくれてありがとうございました。
次回は、どんなパワハラを受けていったかを書いていきたいと思います。
つづく
うつ病デビュー・・・【うつ病#1】
2020年10月18日
それは自分にとって忘れられない日になった。
小雨の降る中、初めて心療内科という種の病院へ行き、先生から『うつ病ですね。
しばらく会社を休みましょう』と言われた日だった。
うつ病・・・自分が・・・
私は先生に『会社にうつ病になったなんて言えません!』と懇願しました。
先生は復職しやすいように、診断書を『適応障害』にしておきますといい1ヵ月休職するよういい診断書と処方箋を渡された・・・
はじめて聞く名前の病名だった。
処方された薬も、マイスリー、ドグマチール、サイレースという聞いたこともない名前だった。
うつ病になった原因に思い当たることが無いわけではなかった。
(それは今後詳しく書いていこうと思う)
2020年3月末
当時、私は横浜に住んでいたが、
新型コロナウィルスの影響で会社が事業譲渡され、正社員は全員解雇になった。
その職場では、私はコールセンターの責任者だった。
と言ってもマネジメント数は30‐40ぐらいの中規模なセンターだ。
全体のマネジメントをしながら売上管理を行い、KPI管理とPDCAを繰り返しながら業績を上げて社長参加の会議に出席してコールセンターの稼働状況を説明する。
簡単に言ってしまえば、そんな仕事だ。
しかし、私には非常にやりがいと達成感を感じることができ毎日が非常に充実してた。
そんな生活が新型コロナウィルスの影響で、あっさりと無くなってしまった。
そして転職活動を必死でおこない、誰でも聞いたことのある有名百貨店のクレジットカード会社に転職することになった。
まさに、私の悪い意味での最大の人生の転機はここから始まっていく・・・
つづく。